旅人してくる(山陰・九州編2023)【まとめ2】

diary

私が生まれたとき、父方の祖父と祖母はすでに亡くなっていた。昭和40年?だったと思う。墓参りに行ったことがある。曖昧だが藪の中に木製の墓標が建っていた。ある日父に「石のお墓じゃなくて、木のお墓ってなんか貧乏くさい」みたいなことを言うと父は「ご先祖様の墓は色々な場所に点在している。もある」と言われた記憶はずっと残っていた。子供の私は塚=古墳みたいなものを想像してしまった。

とある歴史資料を読んていた時、偶然にもその塚の話を見つけた。それには場所の地名が書かれていたが、現代の地図にその地名は無くどこなのか?探しているときに、ここへ行ったことがある人のblogを見つけ事情を説明すると案内をしてくれると言うではないすか!それは誰かが導いてくれたのかもしれません。

父方のご先祖様の話

諸説あるようだが、1549年?この山の斜面で戦があり、ご先祖様は待ち伏せされて討死。そして1590年頃、里人が憐み山頂に墓標を建て弔ったと伝えられてる。

道なき道を進むこと30分。ここは、墓、塚というより供養塔のようです。

北海道の酒も持っていった

大雨で流されることも無く、今もここに残っているのは凄い!ここで手を合わせることができたので、三途の川の向こうの世界では一族の酒宴に参加し、一段高いところに座らせてもらえるのでは?などと勝手に思ったりしています。

母方のご先祖様

そして翌日は、母方の本家のある地区へ車を走らせる。本家の入口には木戸があり戦前まで男衆が居て畑の他に養蚕なども行っていたらしい。それより古いことは解らないのだが、この地域には道が変わり温泉別荘がいくつも建っており、場所も恐らくこの辺だろう・・・くらいしかわかりません。

入口の道路で石碑?を見つけた

よそ者がうろちょろしていると怪しまれる?ので、檀家となっている寺へ行きお参りします。母方の祖父、祖母の遺骨はこの寺の納骨堂に納められています。

寺にある石碑にご先祖様らしき名前が・・・
お会いした人

ずっと思い続けてきた塚に行けたのは感慨深く、長年の思いが達成できました。それにしても、朝は雨と強風、途中は雪まで降る天候が、塚へ向かう前には青空が見える程まで天候が回復したのは、私が一族に歓迎されたという事か?などど今でも勝手に思っています。

母方の寺参りをしたのは、これが2度目。静かなこの寺は何故か心が落ち着くのです・・・

この旅一番の目的を達成できました。

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